図書館の蔵書検索でたまたま見つけ、すっとぼけたような表情の表紙に惹かれたので読んでみた。穂村弘の「迷子手帳」。
穂村弘の歌は教科書とかで見たことはあるけど、歌集はちゃんと読んだことがない。
これまで、彼のことをなぜか勝手に陰気な人だと思っていた。でも、この本を読んで印象が変わった。
最初の一編「クリスマスの戦い」こそ、ひとりきりのクリスマスがいたたまれなくなり、ぐうぜん入った時計屋でめちゃくちゃ高い腕時計を買ってしまう、という心が苦しくも同じ陰キャ(失礼)として共感できる話だったのだが。
他の話を読みすすめていくと、沖縄によく行っている様子があったり、ホテルのバイキングで張り切りって盛りすぎていたり、奥さんとの生活を楽しんでいる様子があったり。
単なる陰キャじゃなくて、 私が想像していたより、愛や優しさ、行動力にあふれた人なのでは? と思った。
でもそりゃそうだ。単なる陰キャじゃあ人に共感される歌人になんてなれないもんね、と考え直した。
「庶民の魂」では、上に書いたバイキングの話が出てくる。
バイキングでついいろいろな食べ物を取ってしまう自分は庶民、サラダだけで満足している人は貴族。庶民の自分は海外に行ったら時間がもったいなくて街に出てしまうけど、貴族の人たちはプールサイドでのんびりしている……。
私も庶民なのでバイキングのくだりは「わかるわかる」とニコニコしながら読んでいたけど、旅行先でホテルにいられず街に出てしまう、というところ、自分は体力がなくてホテルでだらだらしてしまうタイプなので、同じ庶民でも違うものだなと思った。
というか、もしかしたら、貴族に見える人たちの中には、単に体力がなくて貴族的なふるまいをしている庶民もいるのかも、とか考えたり。
穂村弘自身も、最近は真夏に街を出歩く体力がなく、プールサイドで過ごせるようになったと話の最後のほうで書いているし。
穂村弘、なかなかに体力あり。
「長年一緒にいても」では、タイトル通り、長年一緒に暮らしている奥さんの予想外の行動や反応に驚いた様子が書かれている。でもその驚きには、「しょんぼり」や「がっかり」などのネガティブな色はない。
長年一緒にいてもわからないことがあることを楽しんでいるというか、「これからもいろいろ相手のことを知っていける」という希望を穂村弘が持っていることが伝わってくる一編だった。
穂村弘に対する印象が一番変わったのは、「愛の計測」。
結婚式のケーキ入刀の儀式は、長年連れ添った末に北風の中で一緒にたくあんを漬けるような老夫婦になれますように、という願いなんじゃないか……。
こんな発想、人への愛にあふれていなければ出てこないと思う。
歌人のエッセイらしく、話に合わせて自身や他の人が詠んだ歌が出てきて、それもよかった。
今度は穂村弘の歌集を読んでみよう。
おしまい。